石垣島の明石の高台より

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障がい者グループホーム運営を引退して無職に

投稿日:2024年6月23日 更新日:

2023年11月 グループホーム2軒の運営から退きました

半年を過ぎたところで総括してみようと思う。
以下は Facebookページ に残した最後の「ごあいさつ」です。


【ご報告】
管理者のアズマです。
この度、一身上の都合によりグループホーム運営から身を引き、後任に引き継ぎましたことをご報告いたします。
立ち上げ準備から丸4年、皆様に暖かく見守られながら、利用者さんの支援に没頭して自身の役割を全うすることができました。
今まで応援して頂き心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
尚、このFacebookページは以前から私が個人的に運用してきたものですが、削除するのも寂しいのでこのまましばらくの間そっとしておこうと思います。
今後の繋がりは個人アカウントの方でよろしくお願いいたします。

https://facebook.com/ishigakijimayuntakuya

 
もし、障がい者グループホームがどんなところか知りたい人がいたら。
奮闘記としてFacebookページに残しているので誰でもご覧いただけるはずです。
参考にしていただけたら嬉しく思います。
まあ、ほとんどの投稿が夕食の献立ですけど…。
https://facebook.com/ishigakijimayuntakuya

でも、生きていく上で最も大切なものは「食」ですからね。
 

うまいもの腹いっぱい食って、朝までぐっすり眠れるだけで、俺たち幸せさぁ~

わたしが常々、利用者の皆さんに伝えていた言葉です。
利用者さんは統合失調症を患っている人がほとんど。
家庭環境に恵まれていなかったり、偏った食事しか摂ってこなかったり、不眠症に悩まされていたり…。
 
そんな彼らからの「うまい、うまい、おかわり…」という声は感慨深いものがありました。
定期的に通院する精神科へも毎回付き添うのですが、数ヶ月ぶりに担当するという看護師さんが、
 
「あれぇ?○○さんだよね?変わったねえ~、あっそう?グループホーム入ったの?よかったねぇ~」
 
と、目を丸くして言うのです。 
生き生きして覇気を感じるとのこと。 
この仕事してきてよかったなぁ~、社会の役に立ててるなぁ~と実感する瞬間。
すごく嬉しかったです。
 
「うまいもの腹いっぱい食って、朝までぐっすり眠れるだけで幸せ!」
ここを基準にできたなら、不安に押し潰されそうになることも減ると思うのです。
「少欲知足」
上を見ればきりがない。わたしたちは今すでに十分に満たされてる。
 

あっという間の4年間、そりゃもう大変でした。

構想としては1~2年は先頭を走って軌道に乗せて、その後はマネジメント業務に専念できる体制を…と目論んでいたのですが…。
「生活支援員」を募集しても募集しても、とにかく現場を任せられるだけの人財(正しくは人材と書きますがあえて…)と出会えない。
 
2軒とも定員5名のグループホームなのですが、どちらもそれぞれ「一人シフト」で対応してもらわねばなりません。
国保連に毎月請求する給付費は少額で、一人分の人件費でギリギリ。その限られた予算内で運営するしかないからです。
2名以上のスタッフで切り盛りする中規模の施設ならば、1人ぐらい頼りない人がいても何とかカバーできますが、「一人シフト」となると、それなりに機転の利く人でないと…。
支援の対象は「物」ではなく「人」ですから…。
結局は丸4年間、自分自身が「管理者」も「生活支援員」も兼務し続けるしかなかったです。
 

施設の稼働時間は

  • 平日は「利用者さんが作業所から帰ってくる15:00」から「翌朝作業所へ出かける10:00」まで【計19時間の夜勤】
  • 土日は作業所が休みなので「金曜15:00」から「月曜10:00」までの【計67時間】
  • お盆や年末年始は、24時間×(3~5日)なので【計72~120時間】
  • コロナ禍では作業所が閉鎖したので【24時間の体制が数ヶ月】続きました。

わたしは「週4回の夜勤」と「土日いずれかの日勤」、そして管理者としての事務仕事や館内の営繕は利用者さんのいない「平日の昼間」にきっちりこなしていました。
ですから、毎月300時間ぐらい平気で働いていました。
自分がNPO法人を誘致して立ち上げた施設だし、覚悟は半端じゃなかったですから…。
被雇用者ですけど「マインドは経営者」でしたから、残業手当を要求する気も更々なかったです。仕事が大好きなのです。
ただ、このまま人財に恵まれなかったら、65歳になっても70歳になっても支援に忙殺される日々を送っているのかなあ?仕事一辺倒でいいのかなあ?という不安や疑問はありました。
 
なんとか善き縁が…と祈っていましたが、あまりにも見つからなさ過ぎました。
高度な技術など求めていません。学歴も関係ありません。(そもそも私は高校中退です…)
当たり前のことを普通にこなしてくれればよいだけなんです。
採用条件は2つ、「きれい好きなこと」「人のお世話が好きなこと」これだけでした。
自分がショボいからイイ人財が寄ってこなかったんでしょうか…。
 
また、一方では運営の在り方について上層部との間でギャップが生まれて…。離島という距離の壁が疑心暗鬼を招いた感も否めません。出る杭を打とうとする勢力も見え隠れしました。
わたしの日常や仕事ぶりなど全く見えなかったでしょうが、自分の事は後回しにして顧みず、10名の利用者さんの生活を第一として見守ってきたのは紛れもなくわたしだったと自負しています。
2名の利用者さんがコロナ罹患した時は、お世話していた私も感染してしまいました。スタッフに出勤を禁じて、まわりにもひた隠して、40℃の高熱と死にそうなほどの倦怠感と闘って、這いつくばりながらも利用者さんにバレないよう、一人シフトで1週間の連勤を務め切った男です。気合入ってます。(賛否はまた別の機会に…、苦肉の策だったのです)
結論として、自分のアイデンティティを捻じ曲げてまで、迎合してまで、会社に居座ることはできなかったです。
 

やはり飼い犬にはなれない

やっぱりわたしは野良犬として生きた方が自分らしさを実感できるみたいです。
 
アイデンティティ、価値観、流儀は人それぞれなので、わたしは否定する気はない。
相手に押し付けるものでもない。
出会いがあれば別れもある。それが生きるということ。諸行無常、常なるもの無しです。
 
逆に、別れたということは次の縁(ステージ)があるというのが自然の摂理というもの。
62歳で無職になっても、さほど狼狽(うろたえ)することも無かった。それなりに波瀾万丈な人生で免疫が付いているのかな?
 
お陰で人生の終わらせ方について考える期間が手に入った。まあ、人生なるようになるし、なるようにしかならんから…。
 

自分の人生の偉大な功績

わたしは、障がいを持つ人の住まいを2つも作ることができた。
そしてこの福祉の仕組みがある限り、この先ずっと10名に安心で穏やかな暮らしを提供し続けられる。
いずれ、わたしが往生した後もこの施設は存続してほしいと願う。
小さなことだけど、わたしの人生においては偉大な功績。偉業なのだ。
 
2年前に一般採用した40代の部下に後を託しての引退。
K君、あとは任せた!

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